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開院に至るまでの思い

原点となった思い

中学・高校生の頃から、憧れを抱く多くの大人たちとの出会いがありました。その中で、「自分はどうしたら人の役に、社会の役に立てるだろうか」と考えるようになり、医師を志しました。実家の近くに、何でも相談できる内科開業医の先生がいたことも、今の自分につながっています。

大学時代の価値観の揺らぎ

新潟大学へ進学した当時は、高校時代のフィリピンへのホームステイ経験もあり、国際医療に貢献したいという思いを持っていました。
一方で、大学病院では臓器別の専門化が進み、「どの科に進むのか」が強く問われる空気がありました。私は、地域の中で患者さんから期待されることに幅広く応えられる、いわば「普通のお医者さん」を目指していただけなのに、その風潮にどこか違和感を覚えていました。

大学4年生の頃、高齢者施設で働く高齢の女性に、将来どのような医者になりたいのかを尋ねられました。私は「恵まれない途上国で、医療の届かない方々を支えたい」と答えました。
しかし、女性からは「日本の中にも、まだ医療が届かないところがあるのにもったいない、、」と予想外の答えがあり、自分の考えを見直すきっかけになりました。

地域医療との出会い

大学5年生から6年生にかけて、湯沢町保健医療センターで実習を経験しました。
そこで初めて家庭医療・総合診療と出会い、長い関係性を大切にする外来や訪問診療、文献を調べながら診療を進める姿勢に強い衝撃を受けました。さらに、夜中の3時に赤ちゃんの涙が止まらないことを心配して受診したお母さんに対し、家庭医療専攻研修中の先生が嫌な顔一つせず丁寧に対応する姿を見ました。「迷惑な患者だ」と思ってしまった自分を恥じ、自分もこういう医師になりたいと強く思いました。

初期臨床研修:学びの広がり

当時の新潟県内には家庭医療研修プログラムがまだ十分に整っておらず、湯沢町保健医療センターの先生方に勧めていただいた東京北医療センターの初期研修プログラムに進みました。
揖斐郡北西部地域医療センターやシティ・タワー診療所などでも研修し、僻地医療、家族背景を踏まえた医療、多職種連携の大切さを学びました。

専攻研修:多様な現場での経験

専門研修では、東京、千葉、湯沢、島根県の離島、岐阜県での婦人科診療など、さまざまな地域・領域で経験を積みました。さらにアメリカ・オレゴン州でも家庭医療を見学し、日本との医療の仕組みの違いについて学びました。
東京・千葉では、救急医療や内科・総合診療病棟で急性期医療にも多く携わりました。

岐阜市:在宅医療への関心と実践

家庭医療専門医取得後は、在宅医療に強く惹かれるようになりました。
終末期医療、小児在宅医療、ICT連携に先進的に取り組んでいたシティ・タワー診療所で勤務し、外来や入院とは異なる視点、コミュニケーション、多職種連携の重要性を実感しました。2年間で多くの在宅看取りに関わり、チームを一つにしていく難しさも学びました。

 

岐阜県揖斐川町:地域ニーズへの挑戦

その後、揖斐郡北西部地域医療センターから在宅部門立ち上げのお声がけをいただきました。
当時の揖斐川町では、高齢化により通院困難な患者さんが増える一方、訪問診療を十分に提供できない状況がありました。地域医療に貢献したいという思いのあった私にとって、大きな挑戦の機会でした。

在宅医療拠点の立ち上げ

町の保健センター2階の一室を間借りし、医師1人、看護師1人で訪問診療拠点を立ち上げました。30名から始まった患者さんは1年で約70名に増え、在宅での看取りも年間30名ほど関わらせていただきました。

地域連携の構築

地域連携アプリ「バイタルリンク」の導入と普及にも取り組み、約100事業所が参加する地域のインフラとして機能するまでになりました。
在宅医療では、地域の連携がなければ患者さんに十分なケアを届けることができないことを、現場で強く実感しました。

患者さんと家族のよき伴走者として

地域がつながり、一つの方向を向いて患者さんを支えることで、患者さんやご家族の時間の質が変わっていく場面を何度も経験しました。
悲しみの涙だけでなく、やりきったという達成感を伴う涙へと変わっていく。その経験が、「この医療をもっと届けられる人を育てたい」という思いにつながっていきました。

教育への関わり

研修医や専攻医の頃から、後輩医師と一緒に働き、気づいたことをフィードバックし合いながら学ぶことを大切にしてきました。
教育と学習を同時に行う関係性そのものが、自分自身の継続的な学びにもなっていると感じています。

 

新潟という選択

やがて在宅部門は診療所へ統合され、私自身も仕事の一つの区切りを感じるようになりました。
子どもが小学校1年生になる時期でもあり、これまでの経験を生かしながら、次にどこでどのように役に立てるのかを考え、新たな場所を探し始めました。

新たな挑戦の地として選んだのは、母校があり、妻の実家もある新潟でした。
総合診療・家庭医療を地域に根付かせる教育に関わりたいという思いがあり、総合診療医の育成に力を入れていた下越病院総合診療科に入職しました。

秋葉区:地域課題との向き合い

新潟市秋葉区では、訪問診療や在宅で最期を迎えるという文化がまだ十分には根付いていませんでした。
その中で病棟管理をしながら週1回の訪問診療を始め、患者数が増える中で、かえつクリニックで新たな訪問診療拠点を立ち上げていく流れに関わりました。

ICT連携と地域のこれから

秋葉区で在宅医療を進める中でも、ICT連携は不可欠だと感じ、新潟市で普及していたスワンネットの普及活動や講演会にも取り組みました。
まだ発展途上ではありますが、利用者は着実に増えており、今後はオンラインでの在宅医療・介護連携がさらに広がっていくと考えています。

教育と実践の両立

下越病院・かえつクリニックでは、多くの研修医の育成にも関わりました。
外来や病棟、訪問診療の現場を通して、医学生、研修医、看護師、薬剤師などが在宅医療に触れる機会が日常になっていきました。

新しい家庭医療のかたち

新潟でも、在宅医療や総合診療的な外来が求められていることは変わりません。
これまで岐阜や秋葉区で積み重ねてきたことは、東区でも生かせると感じています。学生や研修医にとって身近なロールモデルとなるクリニックが地域にあることには、大きな意味があります。
所属の異なる医療・介護・福祉職が同じ方向を向き、そこに若い力も加わる。これからの家庭医療は、複数医師体制で教育も担いながら地域を支える形へ進んでいくべきだと考えています。地域のクリニックとも競合ではなく連携し、それぞれの強みを生かして助け合う。そんな医療を体現する拠点として、新たな診療所をつくることには意味があると感じました。

地域に深く根を張る診療所へ

これから、医師としての人生の第二段階をスタートします。
地域とともに歩み、成長しながら、「あの診療所があるから安心して暮らせる」と言っていただけるような存在へ、少しでも早く成長し、地域に深く根を張っていきたいと思っています。

 

2026年4月8日 家庭医療クリニック新潟 院長  児玉 崇志

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